Essay

脳内思考たれ流し。

御衣黄

桜は好きかと問われたら、大多数の日本人のご多分に漏れず、好きである。

ただ、好きであると言う割には桜の名も知らぬというのは格好がつかないし、果ては桜なのか梅なのかも区別がつかないようでは余りに馬鹿げている。という訳で、桜を見るときには努めてその姿をしっかり見るようにしている。

 

桜→花びらに切れ込み。

梅→花びらは丸い。

桃→花びらは尖っている。

 

以前一緒に船に乗っていたフィリピン人が日本に上陸し、facebookに画像を投稿した。満面の笑みで花弁にそっと顔を寄せて、「サクラ🌸」と。梅の木の前で。笑い話で済ませるには勿体ない。

 

緑の桜があるーーーと言えば、彼らは信じるだろうか。名を「御衣黄」という。

大学時代、まあ怠惰な生活を送っていたのだが、授業にも出ず其処らをほっつき歩いていた。多摩川沿いのやや北、国分寺崖線を上がった所謂武蔵野近辺には多種多様な桜が今も残っている。多摩川沿いは新しい染井吉野ばかりだが、武蔵野台地には山桜だとか里桜だとか立派な桜が沢山ある。府中だか調布だかの辺りには、冬に咲く山桜があって、春の果敢ない桜と違った力強さが感じられ見事だった。

さて、国分寺の日立中央研究所の敷地内に御衣黄という桜がある。初めて見聞きした際には驚いたが、何てこともない、皇居にも新宿御苑にもあるらしい。秋田の方田舎にある国花苑でも立派に咲いていた。しかし、雑多な国分寺駅から少し離れ、年に数回しか一般開放されない私庭に咲く緑の桜ーーー、少なくとも自分には非常に美しく感じられた。

緑の桜といいつつも、黄とも白とも思わせる実に味わい深い豊かな緑色をしている。華美ではないが、やはり葉や茎の若々しさとは違った艶やかな花弁の色彩を見せる。遠目には一見して花が咲いている様には見えぬが、間近で見ると微かな色香を感じさせる。御衣黄という名前は萌黄色をした貴族の着物に由来するが、この桜が生まれたのは江戸時代であって、懐古の情が拭えない。

戦後より染井吉野が植えられて桜と言えばソメイヨシノとなったが、古来から和歌で詠まれてきた花は山桜である。御衣黄はまた別の日本原産の大島桜を母としていて、里桜の仲間にあたる。今年はコロナ禍で花見もろくにできない時勢となって春は過ぎたが、川沿いに密集して咲き並ぶ染井吉野よりも、ぽつぽつと併し確かに力強く咲き誇る山桜と里桜に日本人らしい姿を感じる。