Essay

脳内思考たれ流し。

少年易老、学難成

非常に有名なフレーズだが、勝手に論語が出典だと思っていた。一度論語を通読したのにも関わらず。正しくは、朱熹の「偶成」という漢詩がこれまで出典だとされてきたが、それ以前から似たような詩文がいくつかあったらしい。

朱熹の「偶成」では、「一寸光陰不可軽」と続く。どちらも、月日は瞬く間に過ぎ、限られた時間を大切にすべきだという意に解される。果たしてそうか。

少年は老いていく。当たり前の事だ。何の捻りもない。時間という絶対的なものを前にして人間は無力である。だから、抵抗もへったくれもない。そんなことを孔子が生きた時代から千年以上も経って改めて言う必要などない。

少年があらゆる可能性を持った純粋無垢な存在を指し示すというなら、老人はあらゆる可能性を捨て去った自我に満ちた存在と言えよう。時間という絶対的な歩みと共に彼が得たのは経験に基づいたegoである。その意味で言うならば、どれだけ少年が抵抗を試みようとも、少年老い易し。だから「学難成」なのである。

時間の流れに対する敬意を持つことをただ伝えるのならば、「学」などという言葉は必要なかった。少年は学ぶ。未知の事物を偏見なく貪欲に学ぶのは少年の特権である。経験と知識に肖って、素直にものごとにぶつかることを忘れ、思い込みに生きるかつての少年は彼らを嘲笑って得意だ。「少年易老」と。

少年が大人になるには「一寸光陰」もかかるまい。